gojarudegojaru2568’s diary

読書好きのとある専門職のブログ

「読書について」ショーペンハウアーその3

ショーペンハウアーさんも (少なくとも私には)難しすぎる主な著書がばーんと出版された後、みんなついて来れてないっぽいと思ったか、比較的読みやすい本が後からちょろちょろ著されてたりするが、本来この「読書について」も、そういう「主論文がどうしても分からない知識と理解力のない人向け」の本という位置づけなのかもしれない。結局この本は「お前らには時間とお金の無駄だから読書なんかやめとけ」という趣旨の「読書について」の本だ。そこが面白い。当時本は高価であっただろうしむしろ親切心かもしれない(違うかも知れない)。

第2段落もショーペンハウアーさん絶好調で、読書というものは他人にものを考えてもらうことであって、本を読む人は他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎないから、大多数の学者の如くたくさん本を読めば読むほど愚者になると述べてあって実に痛快極まりない。この「学者」というのが大嫌いなヘーゲルさんを指しているのかは分からない。しかしショーペンハウアーさんも職業として学者さんなんだし同僚や仲間からどう思われていたのだろう。人嫌いではあったかもしれないが割と友人は多くゲーテさんとかワーグナーさんとか友人も多かったようだけど同業者の友人はあまり多くなかったのか。ちなみにショーペンハウアーさんが(一方的に?)めちゃめちゃ嫌って、異常な対抗心を燃やし続けた(ように見える)ヘーゲルさんは当時大流行して多数の死者を出したコレラの疑い濃厚とされたにも関わらずベッドに寝かされたご遺体に感染を恐れぬお弟子さんやファンの弔問客が絶えなかったらしい。もっともヘーゲルさんの奥さんがうちの夫は絶対の絶対の絶対にコレラなんかじゃありません!とかなり強硬に行政側に手を回したらしく、記録に残された病状の経過からも現代医学的には心筋梗塞からの心不全が死因のようにも思える。

「読書について」ショーペンハウアーその2

私の読書スタイルは一言一句めりめりと文理解釈的に丁寧にというより執拗に読み解くタイプなので読書は好きだがたくさんは読めない。読みながら寝落ちすることもしばしばで私にとっての読書はこの上ない幸福な時間である。

 

ショーペンハウアーさんの「読書について」の第1段落もまたショーペンハウアーさんらしい救いのなさで素敵である。ニーチェさんもたいがい読み手に救いがない文が多いがニーチェさんの方が書き手の葛藤が見え隠れするのでまだ温かみがある(ような気がする)。ショーペンハウアーさんのは、可愛がってる柴犬のポチと一緒に気持ちよく美しい夕焼けを見ながら江戸の町を散歩してる時に、何気なく気になって薄暗がりの横丁に足を踏み入れた途端バッサリ袈裟斬りされて即死したくらい情け容赦ない。そこが萌える。当然吠える前にポチも村正で間髪入れず脳天から一刀両断である。可愛がってる飼い犬と何も背負わず黄泉路を歩くのはさぞ幸せだろう。

ショーペンハウアーさん曰く無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとすのであるから、貧者はそもそも「無知」という身分になれない(だから読書などして知的向上心など持ったところで所詮無駄である)。対して無知なる富者はただのブタだ。時代は百年ほど下るがウィトゲンシュタインなどはショーペンハウアーのお眼鏡にかなった生き様をしただろうか。バッサリ斬られたなら彼は死にたがりなので喜び心より感謝こそしただろうが。

「読書について」ショーペンハウアー(岩波文庫)

以前一読して、後半にヘーゲルさんに対する悪口はお約束として、本体も「プラトンを理解出来ん愚か者はもういっそ本とか読むんじゃねーよバカ」という、知の無い者に対して残酷なあまりに残酷な本だと思って感銘を受けたが、その後私も多少知恵もついた(結局さっぱり分からなかったがプラトンヴェーダもいくつか読んだ)ので今の知識基盤でもう一度読んで見ようと思った。薄いのが幸いである。

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「変人」とか「ちょっとおかしい」とか言われたりするのは慣れてるし、ある程度意図的ではあるがいわゆる友人などというものはひとりもいない。それでも仕事はしないといけないわけで人間というやたら体毛の少ない哺乳類と割とたくさん接するのであるが、そこは大人ですからにこやかにもするし、共感を示したりもする。出会う人間ににこやかにするのは猫にこんばんはと言うのと同じだ。変に構われない知恵だ。しかし共感や同情などという感情は未だよく分からない。初期のデータ少佐の気持ちはこんな感じだったのだろうか。最近はできるだけ、関わる人間や人間の乗り物や構築物などをアイコンとして抽象化して認識するようにしている。なにか情報など引き出せる場合もあるが、仲間とは認識していないし、ましてや敵でもない。特に感情は湧かずただの「今日の景色」に過ぎないのだが、一見バグだとしか思えない非合理的なエネルギー消費は往々に見られ、そこは興味深い。

人間嫌い

私はいわゆる人間嫌いで中島先生の分類によればおそらく⑶の自己優位型と⑸のペシミスト型のミックスにあたる。多分世間様から一番嫌がられるやつだ。私は人間嫌いでできるだけ人間と関わりたくはないがむやみに嫌われたいわけでもなく、出来れば「ちょっと変わってるけど放っておけば害はない」程度の地位にあずかりたい。中島先生ご自身は⑷のモラリスト型の人間嫌いを中心に芸術家やある種の天才によく見られるような若干の双極の傾向でおられるようにみえる。私も⑷のモラリスト型に進化したい。元々人間観察は好きな方だったはずだ。